2012年01月24日

ドングリ(樫の実)で「銀紫」が染まった

樫の実で「銀紫」が染まった



米良の山奥で、大量の樫の実を見つけたので、拾った。ドングリ類は、猪や狸、野鼠など、山の動物たちの貴重な食物だが、この冬は豊作だったのだろう。彼らの食べ残しが、落ち葉とともに森の片隅に転がっていたのである。

「ドングリ」とは、檪(クヌギ)、小楢(コナラ)、樫(カシ)、椎(シイ)などのブナ科の植物の実(堅果類)の総称である。古名は橡(ツルバミ)というから、橡の実(トチノミ)も含むのだろう。橡の実は、北国では美味しい橡餅になり、宮崎県椎葉村などの九州脊梁山地の村では樫の実をつぶし、水でさらしてあく抜きをしてコンニャクを作る。樫の実コンニャクは山里の珍味として賞味される。椎の実は生で食べられる。その小さな黒い実を、奥歯でかちりと噛み割って、白いデンプン質の実を取り出して食べる。ほのかな甘みが合って、山の子どもたちの冬のおやつとして貴重であった。
 
楢、小楢、橡などは落葉するが、樫、椎などは落葉せず、照葉樹の森を形成する。古代、ドングリ類で染めた茶系の色は橡色(つるばみいろ)と呼ばれ、重用された。

□ドングリの実を付ける樹木には次の様な種類がある。
・檪(クヌギ) ブナ科コナラ属の落葉高木。ドングリ類では最も大きい実を付ける。カブトムシやクワガタ虫の集まる木、シイタケの原木、武蔵野など、里山の風景を構成樹木などとして最も親しまれている木である。
・小楢(コナラ)檪の葉をやや小さくした感じの樹木。欅、山桜などともに落葉広葉樹林を形成する。晩秋に赤味がった黄色に黄葉する。古名は「柞(ははそ)」。実は小さく、先がとがっている。
・槲(カシワ) 柏とも書く。檪に似るが葉が広く大きい。葉を食物を包んだり柏餅に用いる。鉄媒染で黒茶が染まるという。
・白樫(シラカシ) 照葉樹林を代表する樹木。堅く、鉈の柄等に用いられる他、上質の炭の原料となる。平安時代には「黒袍」を染めたと枕草子に記されている。樹皮のアルカリ媒染で茶色、鉄媒染で黒が染まる。葉でも銀鼠色などが染まる。実は堅くて小さい。
・粗樫(アラカシ) 白樫と同種だが葉がやや大きい。茶系の色が染まる。
・水楢(ミズナラ) 檪に似るがやや大型。九州には少ない。 



□樫の実の染色
ドングリ類の染色は、灰汁媒染による黄橡、鉄媒染による青み掛かった黒、アルミ媒染でベージュ、鉄媒染で薄鼠色などが染まる。今回は白樫だけの実で染めた。
工程
□採集してきたドングリ(樫の実)を陽に干し、煮出す。茶色がかった染液が得られた。
□5回以上煮出しても色が出る。実が煮えて砕け、煎液が濁る場合があるが布で濾して使える。
□鉄媒染で思いがけない色が出た。紫がかった銀色である。上記のように、古来より、ドングリ類では茶系とグレイ系の色が染められている。グレイ系(灰色)には銀鼠、利休鼠、青鈍(あおにび)、梅鼠、紫鼠、空五倍子色(うつぶしいろ)、素鼠、灰汁色、灰色等々さまざまな呼び名がある。今回、染め上がった布は、銀鼠または梅鼠に近い色と思われるが、かすかに紫色がかっており、絹布の光沢と重なって、古来の色名にもない「銀紫」と呼びたい風合いとなったのである。自然の神秘であり、染色の醍醐味といえる瞬間であった。
*染色工程の画像は後日挿入します。

    

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2012年01月24日

がんじい「トロントロン軽トラ市」で考えた



トロントロン軽トラ市の魅力は、軽トラックの荷台に朝どれの農産物や魚介類、地元の手づくり作家の作品などが並べられ、販売されていることと、そこに集まる多くの人々の陽気で活気に満ちた表情である。そして、迫力満点の売り場のおばちゃんたち、それを手伝う健気で元気な少年、ほほえましく愛らしい家族連れの姿なども好ましく、見ていて飽きることがない。




軽トラ市を歩いていて、がんじいは高知市の名物「日曜市」と伊賀上野の「上野天神祭」のことを思い出したものだ。高知の日曜市に行ったのは、今から30年近く前のことだが、がんじいはその頃、湯布院町(現・由布市湯布院町)の旧道「湯の坪街道」沿いの空家を借りて古い道具類を商う小さな店を出していた。まだ湯布院の町が有名になる前のことだったから、人通りも少なく、一週間も雨の日が続くと、通りの商店主などは表に出てきて、空を見上げ、「客が来んなあ・・・」とため息をつくような時代であった。古伊万里の食器類や古布、古箪笥などを並べた店も、当時はそのような品はまだ買い手も少なく暇だったから、営業と買出し(田舎廻りの発掘作業)と取材を兼ねた旅に出かけていた。ふとした縁で、高知の日曜市を取り仕切るという「香具師(やし)」の親分と知り合いになり、その家を訪ね、ついでに親分の露天の隣で店開きをさせてもらったのである。
高知市の「日曜市」は、高知城のすぐ下、追手門から東に伸びる市街へかけて約1.3kmにわたり、毎週日曜日に開かれており、300年の歴史を有するという。戦国末期に織田信長が開いた「楽市楽座」の流れを汲む最も古い市場のひとつであろう。このような市場を取り仕切るのは、昔から、香具師のネットワークであった。伊賀上野(現・伊賀市)の豪族・服部氏が行なった「黒党祭り」やその影響下にあると思われる「伊賀上野天神祭・鬼行列」などをみれば、「忍者」にまでその組織網が広がっていたとみることができるであろう(伊賀上野の天神祭と伊賀忍者の頭領・服部氏、香具師の関係などは、「森の空想ミュージアム」のホームページ「忍者と仮面」の項に詳述)。
現在行なわれている各地の市場などは自治体や市民団体、有志の実行委員会などの運営によるものが多く、どれもが香具師や忍者の影響下にあるわけではないが、年季を経たネットワークは露天商の出る市場などにはいまだに一定の影響力は有していると考えられる。がんじいが飛び入りで高知の日曜市に出店できたのも、それに類する経緯を経たものであった。
その日、市場は盛大な賑わいをみせていたが、器や古布、現代クラフトやガラスなどを並べたがんじいの店では、何も売れなかった。それに引き換え、親分の店には、次々に客が訪れ、番台一枚に積み上げられた品は堅実な売れ行きを見せていた。その品物というのは、なんと、「ハブの黒焼き」と称する粉末であった。そして、それを買ってゆくのは、いわゆる熟女と呼ばれる年代の女性たちで、それは、ご亭主または恋人との間で用いられる秘薬のようであった。がんじいは不思議でたまらず、ついに親分に「それは本当に効くのですか?」と無遠慮な質問をぶつけてみた。すると親分は、「ふふん」と鼻で笑い、否定も肯定もしない玄妙な態度を示しただけであった。
売れない荷を前に、一日香具師の親分の商いを見ていて学んだことがある。それは、さりげなく客に身体を寄せて行く間合いとか、世間話をしていて、何気なく「○○ちゃんによろしくな」と知り合いらしいその女性の相方の名を囁いたり、若い奥さん風の女性の横で「今夜は夢の中だな」と呟いたりする呼吸などであった。閉店時間が迫った頃、にわか雨がきた。がんじいもそれをきっかけに、親分の呼吸を真似て半額処分で荷をさばき、旅費程度の売り上げはなんとか稼いで、高知の城下を後にしたのである。



話が大いにそれたが、この川南町「トロントロン軽トラ市」は、最初に述べたように町の商工会などが主催する現代のバザールであり、相次いだ災害や商店街衰退、過疎などに悩む地域の再生への手がかりとなるべき要素を秘めた催事である。
がんじいは、軽トラ市の賑わいの中を歩いていて、アジアのバザールや日本の古い形態の市場、現代の青空市などについて思いを馳せたのであるが、この日に限っていえば、賑わいに反して、地元の商店街と出展者の関係性が薄く、せっかくの人出が各商店の集客に反映されていないこと、路地や空き地に客が導引されていないこと、クラフトやアート関連の出展が少ないことなどに気付き、「惜しいな」という気がしたのである。今後、このような点に留意し、対応が図られれば、ますます進展が期待される企画である。高千穂や西米良でエコミュージアム計画にかかわり、先日は「九州アートネットワーク車座会議」でも刺激を受けた身として、いろいろなことを考えた一日だったが、ここでは多くを語らず、現地の取り組みと展開を楽しみに待つことにしよう。

         

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2012年01月18日

がんじい「トロントロン軽トラ市」を歩いた

*茶臼原自然芸術館は次回1月22日のトロントロン軽トラ市に出展します。

川南町「トロントロン軽トラ市」にて



*前回の続き

軽トラックの荷台を利用した店開きがまずまずのすべり出しを見せたのを見届けて、見物に出かけた。私たち「茶臼原自然芸術館」の出展場所はゆるやかな坂道の北端に位置していたので、朝8時の開店から11時15分の閉店までの3時間余りの時間に1万人以上の客が集まるという、軽トラ市の全貌は見通せなかったのだ。午前9時。すでに数千人の人出で賑わっている通りを歩いた。
まず、目を引くのは、なんといっても食べ物である。日向灘沿岸の漁村で作られている「鯖鮨」「鯵鮨」などの「魚鮨(さかなずし)」。もともと漁村の女性たちの手で作られていたものだが、近年、「道の駅」や「港の駅」でも売り出され、人気商品となった。鯖や鯵といった定番といえる素材の他に、小鯛、鰯、太刀魚、鮗(コノシロ)などの小魚があって嬉しい。そしてそれらの魚たちは、造り手たちの工夫と技によってそれぞれ独自の味わいを出している。素材が新鮮であることはいうまでもない。モノによっては、今朝まで日向灘を泳いでいた魚かもしれない。天然の生牡蠣を焼いている店もある。日向灘沿岸の遠浅の岩場に、椎葉や米良、尾鈴山系などの山々から注ぐ真水が混じって、とびきり上質の牡蠣が育つのだ。鯵鮨、貝と海草の混ぜご飯、鰻飯などを続けざまに買った。鰻もまた、稚魚の遡上する川を持つ日向灘沿岸は養殖業も盛んで、名物のひとつに数えられるのだ。これで今日の昼飯は確保。門川漁港揚がりの太刀魚の干物と鯖の一夜干しを買って、今夜のビールのつまみに。近隣の農家から運ばれてくる質量ともに圧巻の農産物、肉料理、焼酎などはここに記すまでもないだろう。




刃物を並べているおじさんがいた。刃物といっても、台所用の包丁や鉈、鎌などの農具を売る店ではなく、使い古された鉈、斧、金槌、釘抜き、細刃のナイフ類などである。山仕事の道具や、猪解体用のナイフなども見受けられた。釣り道具も並べられていた。いわゆるアンティークショップではなく、このおじさんは、「男の遊び道具」としてこれらの刃物をコレクションし、ここでは「売る」という行為よりも「遊び仲間」と「つながる」ことを主目的としているような感じであった。
思わず「欲しい」と思った鉈があった。長さ40センチほどもある木の柄は茶褐色に古びて深い味を出し、刃との結合部分は丈夫な草の糸(おそらく山地の崖に生える「菅=スゲ」であろう)で巻かれ、補強されている。その「巻き」が一点のアート作品を見るようである。刃の部分は長い年月をかけて使い込まれ、研がれて磨耗し、刃が内側に湾曲しているほどである。そのカーブもまた美しく、鋭利な刃を収めるための木製の鞘も心憎い。



幸か不幸か、私はこの日、財布を持っていなかった。当節、明確な目的もなしに刃物を買い込んだり集めたりしているとあらぬ疑いをかけられる恐れがある。物騒な、信じられないような通り魔事件などが頻発しているではないか。そのこととは無関係だが、(今日は「売る日」であって「買う日」ではない)と、私は固く自分を戒めて、あえて財布を置き、ホケットに小銭だけを突っ込んで出かけてきたのであった。それで、この鉈をあきらめて引き返したが、この軽トラ市は、タイの奥地の村のバザール、釜山の国際市場や那覇の公設市場、高知の日曜市などを思い出させた。規模や年季などはまだそれらに及ばないが、軽トラックの荷台に種々の物産や商品が並ぶというユニークさは群を抜いている。今年は、東日本大震災の復興支援のモデルケースとして出展されたともいう。地域再生の大きなヒントを秘めている企画といえよう。
わが茶臼原自然芸術館のスタッフも、交代で探索に出かけたが、各々、お気に入りのスポットを見つけたと見え、市場の賑わいの中に消えたまま、しばらく帰って来ないのであった。


       

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2012年01月04日

友愛社のお正月

2012年1月
友愛社のお正月



明けましておめでとうございます。
今年の元日の朝は、あたたかな陽ざしのふりそそぐ、穏やかな正月となりました。
梅のつぼみがふくらみ、日本水仙が白い花を開いています。
午前10時頃、友愛園の食堂に、子どもたちと理事長以下友愛社の職員・指導員などが集まって、
新年会が始まります。友愛社の一年が、ここから始まるのです。
理事長の年頭あいさつの後、調理師さんとボランティアの皆さんが
心を込めて作ってくれた正月料理をいただき、
各自、去年一年の反省と年頭の決意を述べます。
どんな小さな子も、健気に立って、今年の目標を語ります。
昨年は、東日本大震災や原発の事故、自然災害、
世界的な政治・経済の激動など沢山の出来事がありましたが、
今年こそ新しい時代を切り開く年となるよう、皆、新年の誓いを述べました。
石井十次とその後に続く人たちが築いてきた百年の歴史と、
がっしりとそれを受け止める茶臼原の大地と自然に抱かれて、
しっかりと確実な歩みが進められてゆくことでしょう。  

  

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2011年12月28日

がんじい「トロントロン軽トラ市」に行く

この冬一番という寒波が襲来し、南国宮崎・茶臼原の台地を霜が真っ白に化粧した朝、早起きをして川南町「トロントロン軽トラ市」に、がんじいも初めて参加した。「石井記念友愛社・茶臼原自然芸術館」の作品を展示・販売する日なのである。

この軽妙な名称を持つ市場は、宮崎県川南町の中心商店街の中央を貫く道路を車両進入禁止区域とし、そこに農家や漁業の人たちや近隣の工芸作家、手づくり食品の造り手たちなどが、それぞれ軽トラックを持ち込んで、その荷台を屋台のごとくに利用して、様々な物産の販売を行なうという、まことに痛快な企画である。
昨日まで人っ子いなかったように思える寂れた古い町並みに、ある朝突然、軽トラックと人と物とがあふれ、アジアのバザールのような大いなる賑わいを見せる通りに変貌する。その活気あふれる現場に踏み込む前に、川南町の沿革とその名称の由来となった、「トロントロン」という地名について検証しておこう。



川南町は、宮崎県のほぼ中央部の海岸部に位置し、東は日向灘・太平洋、西は若山牧水が望郷の思いをこめて歌った尾鈴山系の山々を望む、人口約1万7,000人の町である。宮崎市から国道10号線を北へ約1時間、電車で約40分の距離にある。広大な台地状の平地が広がり、農畜産、漁業を基幹産業とする。第二次大戦後、軍用地であったこの広大な台地は解放され、全国から開拓者たちが入植、発展を遂げ、中心部には商店街も形成されて、商工業も拡大を続けてきた。しかしながら、全国的な中心商店街衰退の波はここも例外なく襲い、バブル崩壊、その後の大幅な規制緩和による中・大型店の地方への進出ラッシュ等により商工業は衰退した。農畜産業も輸入が拡大し価格が下落、農家はも多頭化による経営改善を余儀なくされ、苦戦が続いているという。

 

この軽トラ市が開催される川南町の中心部トロントロンという地名は、尾鈴山系を源とする名貫川と小丸川に挟まれたこの地域が、古来、小滝や伏流水の湧き出る場所が多く、その水音が辺り一帯や街道脇の並木道に反響したことから付いたとする説が有力である。町を貫く道は、中世以降、日向と豊後を結ぶ主要な街道として栄え、ゆるやかな坂道には松・杉・楠などの並木が涼しい木陰を作っていたという。このトロントロンという地名については「とろとろと上り下りするゆるやかな坂道」説など、他にもいくつかの説があるが、街道を行き交う人々の耳に響いた水音がその地名の起源だとすれば大変懐かしく、奥ゆかしい地名である。ちなみに宮崎県には穏やかな内湾の水音が優しい延岡市土々呂(ととろ)漁港があり、美郷町北郷区を貫流する五十鈴川の「轟(とどろ)の滝」の他、小さな小滝を轟滝、あるいは轟の淵などと呼ぶと呼ぶ例もあって、水音と「トトロ」「トロントロン」の関連を想起させる。



さて、このトロントロンという名の坂道で軽トラ市が始まったのは、四年前(平成18年)のことである。当初は軽トラック60台余りの参加だったが、年々話題を呼び、昨年(2010年)口蹄疫発生の折にはその中心地であったことから、半年間開催を自粛したが、その後、再開し、現在は参加軽トラック100台以上、来客は一万人を越える地域イベントとして活況を呈しているのである。



茶臼原自然芸術館が参加したのは、今年(2011年)の春から。現地のお菓子屋さんとの共同出展という形で実現した。以後、毎月第四日曜の開催日に毎回出店し、好評を得ているのである。
この日は、寒い日だったから、草木染め手織りのマフラーを主に展示した。まず軽トラ横のスペースに張られたテントの前面のマネキンの首にマフラーを巻き、テントから軽トラの荷台の上部に紐を張ってそれにシルクのマフラーを下げた。ゆるやかな風にマフラーが翻り、朝日が草木染めの色を照らし始めた時、すぐに二枚のマフラーが売れた。野天での企画の折の状況判断は、戦場における武将あるいは軍師のそれのように、機微詳細を極めたものでなければならぬ。今日の出足は好調であった。

*続きは次回。





         

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2011年12月22日

友愛社の大銀杏 モーちゃんのフォト日記24





友愛社の玄関の横に大きな銀杏の木があります。
もう葉っぱは落ちてしまいましたが、
一枚だけ、クモの糸に引っ掛かって、
ゆらゆらと揺れている葉がありました。

この大銀杏は、「松本圭一銀杏」という名がつけられています。
松本圭一氏は明治19年生まれ。仙台の旧制二高在学中にキリスト教に入信。
ちょうどのそのころ、東北大飢饉が起こり、多くの孤児が石井十次の設立した
東北育児院に預けられたことを知ります。
その後、東京帝国大学農学科を卒業し、茶臼原の孤児院を訪ね、十次と面会。
十次死亡の年、茶臼原孤児院の職員となり、農場学校を開校するが、当時の
日本政府の小作農業者に対する見解に反発し、弾圧を受けたことから
茶臼原孤児院出身者などを連れてブラジルに移住し、農業指導をはじめ多くの実績を残します。
大銀杏は松本が茶臼原を去る時に植えたものです。
100年の時を刻んで、大銀杏は友愛社の庭に美しい影絵を描いているのです。






   

Posted by 友愛社 at 09:35Comments(0)TrackBack(0)モーちゃん

2011年12月21日

秋から冬へ 友愛園の庭

[モーちゃんのフォト日記22]

 

友愛園の庭を散歩しました。
銀杏の葉っぱがたくさん落ちていました。
ブランコに南天の実が一枝、置かれていました。


   

Posted by 友愛社 at 09:36Comments(0)TrackBack(0)モーちゃん

2011年12月16日

モーちゃんです おひさしぶりです 木綿の大作を織りました


木綿の縦じまの作品が織り上がりました。
古い絣織りの工房が閉じられて、糸をたくさん譲ってもらったのを
織り込んだのです。
縞の模様も美しく、手ざわりもふわりとやわらかです。
うれしくて、ひさしぶりにカメラを持って、芸術館の前の斜面で撮影をしました。
北の国では雪がふっているそうです。
南国宮崎は、いまが紅葉が散りはじめたところです。
落ち葉を明るい日差しがてらしていました。





     

Posted by 友愛社 at 14:31Comments(0)TrackBack(0)モーちゃん

2011年12月15日

ガマズミの染色

ガマズミの染色


古い染色の資料を見ていたら、「ズミ」という染料名が見つかった。それで、調べていたら、「ガマズミ」に遭遇した。「ズミ」と「ガマズミ」はたぶん異なる樹木だろうが、取り急ぎ、「ガマズミ」で染めてみることにした。というのは、近くの林の縁で、ガマズミの紅葉が始まっているのを通りがかりに見たばかりだったからである。
ガマズミは、初秋、小さな赤い宝石のような実を付ける。そのつややかな実を、子供の頃、山道を歩いて帰りながら、摘み取って食べた記憶がある。酸味の強いその実が、じつは疲労回復に効用があり、東北地方では、昔、マタギが用いたという伝承がある。山の子たちは、きわめて自然にそのことを知っていたのだろう。
「ガマズミ」の語源には諸説あるが、その幹または枝が固く柔軟性があることから鎌の柄や玄能の柄に用いられ、その実の酸っぱいことから「鎌柄―酸い実」が縮まったとする説が有力だろう。実際、東北地方ではこのガマズミのことを「ジョミ」「ゾミ」などと呼ぶらしいから、整合性がある。「染め―スミ」説は、一般的かつ具体的な染色の記録が見つからず、説得力を欠く。
この酸っぱい実を、ホワイトリカーに浸けこむと果実酒ができるし、ジュースにしても美味いらしい。


□採集してきたガマズミの葉を細かく千切り、水洗いして約30分煮沸。
□黄褐色の煎液が得られた。


□煎液を濾して布を浸す。10分ほどで薄い黄色に染まった。
□その状態で約15分煮沸し、媒染剤(銅)を入れた水に浸して染める。


□やわらかな色調の柿茶に染まった。少し時期遅れかもしれないと心配したが、思いがけない発色である。


古名の「薄柿」または「洒落柿」に近い色。「洒落柿」とは下染めを梅で染め、その上に石灰を水で溶いて浸けておくと、梅の上色の赤味が抜けて熟した柿の実のような色になることから名付けられたという。シルクのマフラーは、柿の実の色というより、湯上りの若い女性の肌の色を連想させた。
          

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2011年12月15日

タブノキで銀鼠色が染まった

タブノキ(﨓)の染色

森へ行く道に大きく差し出て、行く手をふさいでいたタブノキを一本、切り倒した。一本の樹幹から枝分かれしたものが、それぞれ独立して、株立ちのように枝葉を繁らせ、小さな樹林を形成しているのである。
タブノキは、楠や樫、椎などともに照葉樹林を代表する樹木で、大木になる。楠に似た微香がある。
タブノキは、八丈島では「黄八丈」の染料として使用される。椿の灰汁媒染で「鳶色」が染まるという。
八丈島では樹皮を用いるが、今回は、葉と小枝を使い、鉄媒染でシルクストール、シルクマフラー、綿麻パンツを染めた。


□まずは葉と小枝を細かく千切り、水洗いして約1時間煮沸。シナモンの香りが工房一杯に満ちた。


□暗褐色の煎液が得られた。


□布地を水洗いし、煎液に入れ、約30分煮沸。この時点では色の変化は出ない。


□媒染剤の入った水に布地を入れ、染める。約15分浸けておくと、銀鼠色に染まった。
さらに約5分、タブノキの染液に浸けて染め重ね。




・綿麻パンツは深いグレイ
・シルクストールは赤紫がかったグレイ
・シルクストールをアカソの残液で染め重ねると濃い緑灰色
・シルクマフラーをタブノキの染液一回染めで淡い緑灰色
にそれぞれ染まった。森の中ではあまり目立たない樹種だが貴重な染料である。

さて、このグレイは日本の伝統色でいう「銀鼠(ぎんねず)」に近い色調である。
掲載写真は染めあがった直後だが、秋の陽に干して乾くと、白銀のような落ち着いた
薄鼠色になったのである。
  

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2011年12月07日

アカソ(赤麻)の染色



ヤマメを追って、深い谷を遡上している時、渓流沿いの崖や山道の脇の岩場などに
アカソの赤い茎が目につく。アカソはその名の由来が語るように、
赤い葉茎を持つ多年草で、イラクサやヤブマオの仲間である。
夏に使い古した筆の穂先のような淡黄色の花を付ける。
この時期に刈り取り、染める。



晩夏の一日、
小丸川沿の道を遡り、木城町石河内の道沿いの崖でにアカソの群生を確認。
この日は良い具合に道路わきの空き地に群生が見つかったので、採集。



採集してきたアカソは水洗いして細かく千切り、薬30分煮沸する。
黒褐色の煎液が得られた。煎液を別の容器に取り分ける。


布地を入れて薬30分煮沸。布はこの時点では黄色っぽい茶色に。
布地を水洗いし、媒染剤(鉄)を入れた水に入れ、染める。
このまま15分ほど浸けておく。

・今回はシルクストールの鉄媒染で緑がかったグレイ
・オーガニックコットンの鉄媒染で黄味を帯びたオリーブグリーン
・シルクコースターの椿灰汁媒染で深緑
が染まった。

*古代の色名でみると、グレイは「利休鼠(りきゅうねず)」と「青鈍(あおにび)」
の中間あたりに位置する色だと確認された。青鈍は樫の樹皮または椎柴の
鉄媒染による色だが、利休鼠とは特定の染色法によるのではなく、江戸期の
商人による「粋好み」の命名であるということ。このアカソの灰色は、赤味を帯びた
紫がかっているから、独特の色ともいえる。
*アカソの染液を3時間から半日ほど置くと、酸化して絹がピンクが染まるという。
次回の楽しみである。




  

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2011年11月30日

朴の葉で暖色の黄が染まった

朴の葉の染色 2


朴の森が色づいた。30センチほどもある葉が、それぞれ、黄褐色から茶褐色へと変色しながら、
次々と落葉するのである。
北の国では、この葉を拾い集め、水洗いして三日ほど塩水に浸け、それから乾燥させて
紙と紙の間に挟んで保存するという。
それが、名物「朴葉味噌」の素材となるのである。
色づき始めた朴の葉を集め、ミョウバン媒染で、ウールと麻の混紡の布地、木綿の布地、シルクの手袋を染めた。




□茶褐色の煎液が得られた。
□煎液を別々の容器に取り、ミョウバンで先媒染した布地を入れ、約30分煮沸する


□最初、黄色がかった茶色に染まり、時間が経つにつれ、濃くなってゆく。


□温かみのある黄色が染まった。黄色系の色にも生地の違いや染めの頃合いなどによって
少しずつ色目に違いが出る。左は麻ウール混紡、右はやや縮みの入った楊柳綿。


左/楊柳綿・麻ウール混紡 右/シルクの手袋

長崎盛輝著「日本の伝統色」(青幻舎)で色名を検索してみると、
「黄橡(きつるばみ)」と「黄朽葉(きくちば」にもっとも近い色と思われた。
黄橡とは、橡(つるばみ=くぬぎの実)煎汁と灰汁によって染めた黄褐色をいい、
黄朽葉は、朽葉色から分化した呼称のひとつで、梔子(クチナシ)と茜(アカネ)の
重ね染めまたは刈安(カリヤス)を多く用いた茜との重ね染めであり、いずれも
やや赤茶味を帯びた黄色のことである。
今回、朴の葉でこの黄色が染まったことは、偶然ではなく、あらかじめ用意されていたような
色の発見であったように思えてならない。
             

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2011年11月30日

干し葉藍でウールの糸とシルクストールを染めた

干し葉藍の染色 ウールの糸とシルクストール


「干し葉藍」とは、藍草を収穫し、天日で乾燥させて保存したものである。藍染めは、藍甕で藍を建ててそめる「本藍染め」が主流だが、この干し葉藍でも鮮明な青が染まる。
茶臼原自然芸術館では、これまでに館の裏手の「じゅうじ農園」や、空き地を開墾した畑、休耕田の隅などで藍を育て、収穫してきた。保存しておいた藍は、何回も染めを重ねた本藍染めほど深い藍色には染まらないが、一年以上保存でき、折りにふれ染色に利用できる重宝な染料である。


□まず、保存しておいた干し葉藍を水洗いし、煎じる。
□沸騰して15分ほど経ったところでソーダ灰を入れてかき混ぜる。この工程で藍草に含まれていたインヂゴ成分が溶けるのである。
□ハイドロサルファイトを入れ、さらに煮沸を続ける。これにより、藍が還元し、黄色い染液が得られるのである。
□10分~15分煮沸したところで、葉を取り出し、染液を確保する。
□洗って脱水しておいたウールの糸を入れ、染める。


□染液に浸した糸はまず黄色に染まり、空気に触れると緑色から青へと変わってゆく。藍染めでは、空気中の酸素が媒染剤の役割を果たすのである。
□染まった布を水洗いし、酢酸の入った水煮15分ほど浸け、水で濯いで干す。
□やや紫がかった青が染まった。



□同じ染液でシルクストールを染めた。工程はウールの糸と同じ。
□布に絞りを入れ、5分ほどかき混ぜながら染める。ウールより青味の強い藍色が染まり始めた。
□水洗いし、酢酸の入った水に15分浸し、水洗いして干す。
□あざやかな藍色が茶臼原の空の色に反射し、布が風に翻った。
  

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2011年11月29日

朴の葉で木綿の布を染めた

朴の葉の染色 1


森に、ほのかな香りが漂っていた。祭りの広場にたちこめる綿菓子の匂い、または上質のシナモンティーの香りに似ていた。それは数年前の秋、高千穂の森で体験した、桂の木が落葉するときに放つ芳香に似ていた。それで、「朴の葉」の香りであることがわかった。
朴の木は、山地に多い落葉高木で、日本特産の樹木といわれる。6月、香りの高い大きな白い花を咲かせる。殺菌作用をもつことから、古くから葉に食物を盛ったり包んだりして使われた。朴葉寿司や朴葉味噌はその名残である。杯の上に敷かれた朴葉と思われる古墳からの発掘例がある。
樹皮は「和厚木(わこうぼく)と呼ばれ、下痢、腹痛、便秘などの薬効がある。気の流れを良くするともいい、肺に働いて呼吸困難、喘息にも効くといわれる。花をホワイトリカーに浸けこむと香りの強い「花酒」が出来る。
染色には樹皮を細かく切り、水煮浸して熱し、煎汁をとり、煮染する。アルミ媒染で薄茶色、銅媒染で茶色、鉄媒染で鼠色が染まる。
茶臼原自然芸術館の建物には石井十次たちが植えた100年物の杉が使われているが、その100年の森を伐採し、杉の木を切り出した後に、200本ずつの山桜と朴の木、山桑が植栽されたが、その朴の木が生長し、森を形成しはじめたのである。
落葉が始まった朴の森で、まだ青味の残る葉を採集し、木綿の布地を染めることにした。

□染色の工程


□採集してきた朴の葉を水洗いし、千切って約30分煎じる。


□濃い茶系の煎液が得られた。続けて約1時間煮沸。良い香りが工房内に漂った。朴の葉に味噌を乗せ、野菜や白身の魚などを包み込んで焼くと朴葉の香りと味噌の味とがミックスして美味いが、その朴葉味噌焼きを思い出させる香りである。


□精錬しておいた布地を入れ、かき混ぜながら焼く15分煮沸。布が薄いベージュ系の色に染まり始めた。


□一時間ほど放冷し、取り出して脱水、「鉄媒染」にかかる。
□木酢酸鉄を水に溶かし布を入れてよく揉み込むように媒染。深緑がかった灰色に染まった。
□15分ほど浸し、濯いでもう一度染液に入れ、約15分煮沸。


□深みのあるオリーブグレイが染まった(文様は木立の影)。
    

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2011年11月21日

友愛社収穫感謝祭に茶臼原自然芸術館も参加します

2011年 石井記念友愛社 収穫記念感謝祭
が、例年通り 2011年11月23日(水)に
石井記念友愛社友愛広場を中心に友愛社の関連施設で開催されます。



茶臼原自然芸術館も共同主催の一員として参加し、
・「じゅうじ農園」で収穫した野菜などの販売
・「染織作品」の展示と販売
・焼き芋のふるまい
・ハンカチの藍染め体験(参加費500円11:00~14:00)
・裂き織り体験(参加費1000円11:00~14:00)
を行います。お気軽にお立ち寄り下さい。



当日は、
友愛社で収穫した収穫物を使った十次おでん、茶臼原元気パン、
もちもちぜんざい、自然テンプラ、イモちゃんクッキー、焼き芋、
もちつきなどのいろいろな「食」のイベント、
木の実や枝や落ち葉や土など自然の恵みを使った自然とのふれあいの造形による作品展、
友愛臙脂の労作物、米や自然野菜、絵画や工作、職員、賛同者の作品の
展示や 保育園児の遊戯、歌、空手演舞、和太鼓、オカリナ演奏などの日本の伝統文化の披露
なつかしい人、新しく出会った人とゆっくりお話ししながら交流する園遊会など
さまざまな催しが開催されます。
皆さん、お誘い合わせの上、お越し下さい。



*写真はいずれも昨年収穫感謝祭より


       

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2011年11月16日

友愛社収穫感謝祭

『人は自然を開墾し、自然は人を開拓す』 明治45年 石井十次



2011年 石井記念友愛社 収穫記念感謝祭
とき 2011年11月23日(水)
ところ 石井記念友愛社友愛広場

 口蹄疫事件から立ち上がり始めた3月、東日本一帯は未曾有の大地震に
襲われ、多くの人の命が奪われました。家はもちろん多くの田や畑が流され
放棄されたままです。自然の恐ろしさを痛感させられ続けています。
 このみ宮崎茶臼原大地は、今、収穫の時を迎えることができています。山
も野も畑も何事もなかったかのように、太陽の下で輝いています。
 色々あったけど、太陽と自然と様々な命、そして天に謙虚に感謝したいと
思います。また、この大地・自然をずっと守り育てて来た先輩諸氏、それから、
現在、ご支援くださっている多くの方々にも、感謝したいと思います。
 さて、今年の石井記念友愛社の収穫感謝祭は11月23日(水)に行います。
石井記念友愛園、ひかり保育園、のゆり保育園、やまばと保育園、にっしん
保育園、こひつじ保育園、明倫保育園、十文字保育園、都農保育園、尾鈴
保育園、茶臼原自然芸術館の共同主催です。また、11月19日(土)に、
西都市の医療法人隆徳会との共同主催で、感謝の森コンサートを行います。
どちらも、どなたでも自由に参加できます。
 ともに収穫を喜び、感謝しましょう。



[プログラム]
開会式 9:30~
調理 収穫物を使っての野外での調理です。十次おでん、茶臼原元気パン、
もちもちぜんざい、自然テンプラ、イモちゃんクッキー、焼き芋等です。
友愛園で収穫した米を使ってのもちつきもあります。
労作展 木の実や枝や落ち葉や土など自然の恵みを使っての造形。自然
とのふれあいの結晶です。
友愛臙脂の労作物、米や自然野菜、絵画や工作、職員、賛同者の作品も
展示されます。
アトラクション 10:00~ 保育園児の遊戯、歌、空手演舞、和太鼓、オカリナ
演奏など、日本の伝統文化を発信。
園遊会 11:30~ なつかしい人、新しく出会った人とゆっくりお話ししながら
食べたり飲んだりしましょう。
*料理は日頃お世話になっている方々への、子供達、職員からの心を込めた
おもてなしです。(無料)竹のボランティアの皆さんが参加して下さいます。
・お楽しみ抽選会1:00~ 豪華景品が当たりますよ。
閉会 1:30 ありがとうございました。


昨年の収穫感謝祭から












      

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2011年10月27日

お歯黒の染料「五倍子」で紫が染まった

五倍子の染色

半世紀ほど前まで、九州の田舎町には、歯を黒く染めた婦人がいた。「お歯黒」である。既婚者であることを示すその風習はすでに途絶えたが、古い町屋の奥から出てきたその女性は、その歯の色によって一層、艶めかしく、美しさを増すように感じられたものであった。
当時、山の女性は、山道でヌルデの葉に付いた瘤のようなものを見つけると、大切に採集し、保存した。それが、歯を黒く染める染料「附子鉄漿(フシカネ)」=「五倍子(ゴバイシ)」であった。乾燥したその固形物を町の薬屋が定期的に買いに来ていた。
五倍子はヌルデの若葉に寄生するヌルデアブラムシの刺激により、植物体の保護成分であるタンニン酸が集中して膨らんだ「虫瘤」である。最初、小さな膨らみだった瘤=附子が徐々に膨張して五倍ほどにもなることから五倍子と呼ばれるのである。とは言っても、その大きさは最大10センチ程度であり、要するに虫の巣であって、見栄えも決していいとはいえない。しかも、ヌルデはウルシやハゼの仲間であるから、素手で触ったりすると激しくかぶれる場合がある。現代生活からは敬遠される植物のひとついえるだろう。
この五倍子が、染料としては一級品である。鉄媒染で紫がかった黒が染まり、塩化クロム媒染で薄茶色、藍で下染めして塩化クロムで発色すると錆鼠(さびねず=グレイがかった青)が得られる。
ヌルデアブラムシの幼虫は苔類を食草とすることから、環境汚染の少ない渓流沿いの山道などが採集地となる。通常、蒸して乾燥したもの(中国産が多い)が用いられるが、採集してすぐに処理すれば、咲き始めたばかりの山藤の花のような紫が染まる。


尾鈴山麓の山道で、五倍子を見つけた。すでに紅葉が始まっていた。
早速採集し、翌日には処理した。まず、虫こぶを袋に入れ、15-15分間煮沸。


透明な煎液が得られた。この作業を繰り返す。7回ぐらい抽出できる。
絹の紬糸を準備。


媒染剤(木酢酸鉄)を入れた染液に糸を入れ、染める。
光沢を持った紫が染まった。裂き始めた山藤の花の色を連想した。


織機に糸が掛った織り上がりが楽しみ。

           

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2011年10月26日

赤目柏で紫がかった茶色が染まった

アカメガシワ(赤芽柏)の染色



アカメガシワ(赤目柏)は、春先に真っ先に芽吹く植物の仲間で、新芽と葉茎が赤く目立つことからこの名を貰った。
ヌルデやタラノキ、楮、山桜などともに杉林が切り払われたり、火事で焼けたりした後に芽生えてくる植物群のひとつで、パイオニア植物と呼ばれるが、これが、縄文時代の生態系植物相だというから不思議なものだ。そして、これらの植物が「山菜」「薬草」「染料」などして利用されるのであるから、自然界の不思議に驚かざるを得ない。
アカメガシワは、樹皮または赤い新芽と葉茎を干したものが胃潰瘍、胃癌などに効く薬草しても知られる。ただし野草茶に混ぜて煎じると茶が黒くなることから、好みが分かれるようだ。この広い葉は食べ物を乗せる用途も持ち、菜盛り葉とも呼ばれる。
古代より染色に用いられた。藍草で下染めした上に葉と樹皮で染め重ねると純黒色が染まるという。アルミ媒染で黄茶色、錫媒染で黄色、鉄媒染で紫黒色、銅媒染で焦茶色に染まり、真っ黒な小粒の種子は赤色の染料になる。



今回は、黄葉する直前の葉茎でセーター用ウール(毛糸)を染めた。
・天命館前の広場に生えていた木を切り倒し、葉を採集。細かくカットして、洗う。
・使う部分は葉と赤味の残る葉茎。


・糸は精錬しておく。
・煮沸する。沸騰後、15分で煎液が得られた。その煎液を布で濾すと暗黄褐色の煎液が得られた。




・毛糸を入れ、ゆっくりと回転させながら、全体に煎液を浸透させる。20分煮沸。




・水を沸騰させ、媒染剤(硫酸第一鉄・酒石英・蓚酸)を入れる。透明な黄緑色の染液が得られた。
・毛糸を入れ、糸を回転させながら全体に染液を浸透させ、染める。約20分で紫がかった黒に近いグレイに染まった。
・アンモニア溶水に浸すと、色は一層黒くなった。
             

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2011年10月24日

秋風のクラフトPART3 始まりました


秋風のクラフトPRT3 門川「ギャラリー陽だまりの家」にて

会期10月25日-31日
会場 宮崎県門川町庵川西「陽だまりの家」



西米良村「おがわ作小屋村」で開催された「秋風のクラフトPART1」
宮崎市佐土原町「野の苑」で開催された「秋風のクラフトPART2」
は好評のうちに終了。
引き続き門川町ギャラリー「陽だまりの家」
で「秋風のクラフトPART3」が始まりました。
この企画は延岡・日向地域で制作を続けておられる手づくり仲間の皆さんとのコラボレーションです。
潮風の香る古民家ギャラリーの庭には、ドングリの実が落ち、キノコが生えています。
皆さんお誘い合わせ、お越し下さい。









  

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2011年10月19日

秋の陽の色を映す金茶が染まった

アメリカセンダングサの染色 森の草木染め2



春から夏へかけて、草薮の中にある時は、まったく目立たず、畑の脇の草切りをするときなどには、弱い茎はすぐに折れ、倒れて踏みつけられてしまう。薄い黄色の小さな花もこれといった特徴はなく、やはり路傍で見過ごされてしまう。おそらく、食用にもなるまい。
ところが、秋が深まり、すべての草木が紅葉を終え、落葉してしまう頃、この草の実が俄然、存在感を示す。筆先をぶつ切りにして束ねたような、直径5ミリ、花茎の長さ1センチほどの花束の一本一本が茶褐色の鋭い棘となって、人といわず、動物といわず取り付いて離れず、それが靴下やセーター、毛皮などであれば、中へ中へと深々と喰い込んでゆき、ついには肌にチクチクと刺さる。冬に獲物を追って野山を駆ける犬などは、身体中にこの実をくっつけて帰って来て、飼い主を閉口させる。まことに不愉快な子孫繁栄術を持つ草なのである。

ほいとうと 呼ばれる村の しぐれかな
                 山頭火

上句は放浪の俳人・種田山頭火が、熊本・宮崎を経て大分から湯布院へと向かった旅の途中に「ホイト、ホイト」と呼ばれ、子供たちから石を投げられた辛さを詠んだ句である。「ほいと」とは「こじき=乞食」の蔑称で、もともとの乞食(こつじき)修行をする仏僧の意味から物乞いをする貧しい人々へと価値観が著しく低下した呼称である。このいやな草がホイト草と呼ばれるゆえんであろう。
ひっつき虫、ひっつき草、ホイト草などと呼ばれるアメリカ原産の、嫌われもののこの草は、染料としてはなかなか魅力的である。銅媒染で初秋の陽の色を映したような金茶が染まり、アルミ媒染で薄い黄色、鉄媒染でオリーブ色などが染まるのである。
今回は、シルク20%・麻80パーセントの布地とシルクの靴下をミョウバン媒染で染めてみた。


採集してきたアメリカセンダングサを細かくカットし、水洗いして約30分煮沸する。


 赤い煎液が得られる。これにミョウバン液に浸した布を入れ、さらに煮沸する。



20分ぐらいで黄色に染まってきた。さらに30分煮沸し、冷ますとシルク20%、麻80パーセントの布地が金色がかった茶色に染ま ったのである。秋の陽の色を映したような風合いである。


 靴下は椿のアクで染め重ねると、鮮やかなオレンジ色となった。これも思いがけない発色。
 自然の神秘を実感する瞬間である。
  

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