2011年12月22日
友愛社の大銀杏 モーちゃんのフォト日記24
友愛社の玄関の横に大きな銀杏の木があります。
もう葉っぱは落ちてしまいましたが、
一枚だけ、クモの糸に引っ掛かって、
ゆらゆらと揺れている葉がありました。
この大銀杏は、「松本圭一銀杏」という名がつけられています。
松本圭一氏は明治19年生まれ。仙台の旧制二高在学中にキリスト教に入信。
ちょうどのそのころ、東北大飢饉が起こり、多くの孤児が石井十次の設立した
東北育児院に預けられたことを知ります。
その後、東京帝国大学農学科を卒業し、茶臼原の孤児院を訪ね、十次と面会。
十次死亡の年、茶臼原孤児院の職員となり、農場学校を開校するが、当時の
日本政府の小作農業者に対する見解に反発し、弾圧を受けたことから
茶臼原孤児院出身者などを連れてブラジルに移住し、農業指導をはじめ多くの実績を残します。
大銀杏は松本が茶臼原を去る時に植えたものです。
100年の時を刻んで、大銀杏は友愛社の庭に美しい影絵を描いているのです。
2011年12月21日
2011年12月16日
モーちゃんです おひさしぶりです 木綿の大作を織りました
木綿の縦じまの作品が織り上がりました。
古い絣織りの工房が閉じられて、糸をたくさん譲ってもらったのを
織り込んだのです。
縞の模様も美しく、手ざわりもふわりとやわらかです。
うれしくて、ひさしぶりにカメラを持って、芸術館の前の斜面で撮影をしました。
北の国では雪がふっているそうです。
南国宮崎は、いまが紅葉が散りはじめたところです。
落ち葉を明るい日差しがてらしていました。
2010年06月03日
モーちゃんの募金箱
口蹄疫が流行し、友愛社で飼っている三頭の牛も処分されるそうです。
わたしが、ときどき会いに行って、仲良しになっていた牛たちです。
この牛たちは、友愛園の子どもたちが育てた牛で、わたしも友愛園にいたころは
世話をしたのです。そして、そのなかの一頭の牛のおなかには赤ちゃんがいるのです。
何日か前に、友愛園の裏に大きな穴が掘られていました。
あの牛たちはここに埋められるのでしょうか。
いまは、あの牛たちに会いたくても、牛小屋の近くは立ち入り禁止になっていて、
会うことができません。
わたしは悲しくなって、なにか協力できることがないかと思い、
募金箱を作りました。
そしたら、自然芸術館の仲間たちなどが、つぎつぎに募金に参加してくれました。
みんな、ありがとう。
牛さん、いままでありがとう。
[がんじいのひとこと]
茶臼原自然芸術館の通所者の皆さんは、それぞれに障害をもちながらも、
懸命に「自立」に向けた訓練を続けています。その方たちの給与(工賃と呼ばれる)は、
一日500円。その中から差し引かれていた施設使用料は、政権交代後に
廃止となりましたが、その収入がささやかなものであることに変わりはありません。
モーちゃんの募金箱に投入されたものは、
牛や豚たちのいのちや、それを飼育してきた人たちなどの境遇などについて心を痛める
彼ら、彼女ら一人一人の日々の心配と、
「やさしい心」なのです。
2010年01月27日
人参ジャムをつくったよ
[モーちゃんのフォト日記18 人参ジャムをつくったよ]
「じゅうじ農園」でとれたニンジンを使って、指導員の橋口先生と一緒に、人参ジャムを作りました。農園では、土づくりから始めて、有機栽培で心をこめて育てたのです。
まず、ニンジンをまっすぐたてに半分に切ります。それを、鍋に入れて、水をニンジンがひたひたに浸かるぐらい入れて、やわらかくなるまで煮ます。つぎに、そのやわらかくなったニンジンをミキサーに入れ、煮汁を半分ぐらい入れて、ミキサーをかけます。この時、一人がミキサーを支え、一人がお箸でかき混ぜます。とろりとなったニンジンを鍋に入れ、煮ます。このとき、キビ砂糖とレモンを加えます。ここから弱火でとろとろと30分ぐらい煮込んで、出来上がり。
味見をしてみると、甘みと酸味とニンジンの味とが混ざり合って、美味しかったです。
出来上がりを、パックに詰めて、友愛社の運営する六つの保育園の調理担当の人に試食してもらうため、届けました。みなさんの試食後の御意見が楽しみで、でも少し心配で、どきどきしています。
「じゅうじ農園」でとれたニンジンを使って、指導員の橋口先生と一緒に、人参ジャムを作りました。農園では、土づくりから始めて、有機栽培で心をこめて育てたのです。
まず、ニンジンをまっすぐたてに半分に切ります。それを、鍋に入れて、水をニンジンがひたひたに浸かるぐらい入れて、やわらかくなるまで煮ます。つぎに、そのやわらかくなったニンジンをミキサーに入れ、煮汁を半分ぐらい入れて、ミキサーをかけます。この時、一人がミキサーを支え、一人がお箸でかき混ぜます。とろりとなったニンジンを鍋に入れ、煮ます。このとき、キビ砂糖とレモンを加えます。ここから弱火でとろとろと30分ぐらい煮込んで、出来上がり。
味見をしてみると、甘みと酸味とニンジンの味とが混ざり合って、美味しかったです。
出来上がりを、パックに詰めて、友愛社の運営する六つの保育園の調理担当の人に試食してもらうため、届けました。みなさんの試食後の御意見が楽しみで、でも少し心配で、どきどきしています。
2009年12月23日
ジョンさんの裂き織り
[モーちゃんのフォト日記17 ジョンさんの裂き織り]
ジョンさんの「裂き織り」が織り上がり、芸術館の壁に飾られました。裂き織りとは、古くて使われなくなった着物などを細かく裂いて横糸にして織りこんだ織物のことです。昔の人の知恵と工夫から生まれた生活の美です。ジョンさんは、私の友愛園時代の先輩で、お姉さんのような人です。ジョンさんというハンドルネームは、最初に飼っていた犬の名前からつけました。
ジョンさんの「裂き織り」が織り上がり、芸術館の壁に飾られました。裂き織りとは、古くて使われなくなった着物などを細かく裂いて横糸にして織りこんだ織物のことです。昔の人の知恵と工夫から生まれた生活の美です。ジョンさんは、私の友愛園時代の先輩で、お姉さんのような人です。ジョンさんというハンドルネームは、最初に飼っていた犬の名前からつけました。
2009年12月16日
わたしのはた織り作品第二作
[モーちゃんのフォト日記17]
わたしのはた織り作品第二作は、デザインを自分で考えて、糸を用意し、指導員の先生に習って織りあげました。
織りあがったときはうれしくて、友愛社理事長の草二郎先生に見せにいきました。友愛社はわたしの育ったところです。
草二郎先生は大変よろこんでくれて、「これは応接室のテーブルセンターに使おう」と言ってくれました。
わたしのはた織り作品第二作は、デザインを自分で考えて、糸を用意し、指導員の先生に習って織りあげました。
織りあがったときはうれしくて、友愛社理事長の草二郎先生に見せにいきました。友愛社はわたしの育ったところです。
草二郎先生は大変よろこんでくれて、「これは応接室のテーブルセンターに使おう」と言ってくれました。
2009年12月03日
はじめての機織り
[モーちゃんのフォト日記16 はじめての機織り]
茶臼原自然芸術館にきて、はじめての機織りをしました。一回目は、指導員の先生に教えてもらった通りに織りました。難しかったです。二回目は、自分でデザインを決めて糸を用意して、織りました。織りあがった時は、とてもうれしかったです。
茶臼原自然芸術館にきて、はじめての機織りをしました。一回目は、指導員の先生に教えてもらった通りに織りました。難しかったです。二回目は、自分でデザインを決めて糸を用意して、織りました。織りあがった時は、とてもうれしかったです。
2009年11月05日
フェニックスの花
[モーちゃんのフォト日記15 フェニックスの花]
茶臼原のソバ畑の横に、フェニックスの木があって、花が咲いていました。
花がしぼみ始めるとすぐに実になり、黄色くうれていました。
良い香りがして、実をとって食べてみると少しあまくて、不思議な味がしました。
あとで調べてみたら、フェニックスの実には毒があるというのと、食べられるというのがあって
結局、どちらかよくわかりません。不思議ですね。
茶臼原のソバ畑の横に、フェニックスの木があって、花が咲いていました。
花がしぼみ始めるとすぐに実になり、黄色くうれていました。
良い香りがして、実をとって食べてみると少しあまくて、不思議な味がしました。
あとで調べてみたら、フェニックスの実には毒があるというのと、食べられるというのがあって
結局、どちらかよくわかりません。不思議ですね。
2009年10月29日
方舟館の彼岸花
[モーちゃんのフォト日記14 方舟館の彼岸花]
方舟館(はこぶねかん)の窓の外に赤い彼岸花が活けられていました。この日、わたしは方舟館の前で、ラビットさんや通所者の仲間たちと「じゅうじ農園」の野菜や「じゅうじ染め」の帽子やマフラーなどを売りました。ラビットさんは友達だけど腰のヘルニアでお休みです。
早く出てきてくださいね。
方舟館(はこぶねかん)の窓の外に赤い彼岸花が活けられていました。この日、わたしは方舟館の前で、ラビットさんや通所者の仲間たちと「じゅうじ農園」の野菜や「じゅうじ染め」の帽子やマフラーなどを売りました。ラビットさんは友達だけど腰のヘルニアでお休みです。
早く出てきてくださいね。
2009年10月09日
黄色い彼岸花
[モーちゃんのフォト日記13]
石井十次資料館の前の庭に黄色い彼岸花が咲きました。彼岸花の向こうに見えるのは、方舟館(はこぶねかん)です。方舟館は、石井十次が岡山孤児院の建物を解体して、舟で高鍋まで運び、そこからこの茶臼原まで馬車で運んで、建てた建物です。百年の間、友愛社の歴史をみつめてきました。
石井十次資料館の前の庭に黄色い彼岸花が咲きました。彼岸花の向こうに見えるのは、方舟館(はこぶねかん)です。方舟館は、石井十次が岡山孤児院の建物を解体して、舟で高鍋まで運び、そこからこの茶臼原まで馬車で運んで、建てた建物です。百年の間、友愛社の歴史をみつめてきました。
2009年10月08日
2009年09月30日
カノコユリが咲いていた日
[モーちゃんのフォト日記11]
茶臼原の大地には、カノコユリが咲きます。カノコユリは、鹿児島県の西の方にあるこしき島という島に自生するそうです。昔、こしき島から、送ってもらった球根を、茶臼原の人たちが植えて、今はあちこちで咲くようになったのです。石井十次先生たちが生きていたころのことです。
茶臼原の大地には、カノコユリが咲きます。カノコユリは、鹿児島県の西の方にあるこしき島という島に自生するそうです。昔、こしき島から、送ってもらった球根を、茶臼原の人たちが植えて、今はあちこちで咲くようになったのです。石井十次先生たちが生きていたころのことです。
2009年09月25日
2009年09月25日
2009年09月25日
叱られた日1
[モーちゃんのフォト日記 8]
わたしの不用意なことばが、通所者の仲間を傷つけて、わたしは指導員の先生から、しかられました。わたしはこんなにはげしくしかられたのは生まれて初めてだったので、私の心も爆発しそうになっていました。その時、がんじいが、海を見に行こう、と誘ってくれました。海へ行く途中、木城の峠を越えていったところに古い池があって、そこにシラサギの巣があり、たくさんのシラサギが群れていました。わたしとがんじいが近づくとシラサギは逃げて、田んぼに舞い降りたり、また飛び立ったりして、遠い山を越えて行ってしまいました。
わたしの不用意なことばが、通所者の仲間を傷つけて、わたしは指導員の先生から、しかられました。わたしはこんなにはげしくしかられたのは生まれて初めてだったので、私の心も爆発しそうになっていました。その時、がんじいが、海を見に行こう、と誘ってくれました。海へ行く途中、木城の峠を越えていったところに古い池があって、そこにシラサギの巣があり、たくさんのシラサギが群れていました。わたしとがんじいが近づくとシラサギは逃げて、田んぼに舞い降りたり、また飛び立ったりして、遠い山を越えて行ってしまいました。
2009年09月18日
2009年09月18日
夏の思い出3 へんな虫
[モーちゃんのフォト日記6]
へんな虫。これはリュウジ君が撮ってきた作品です。友愛園の窓にとまっていたそうです。
<がんじいのひとこと>
これは、ナナフシという虫じゃな。普段は日当たりのよい雑木林にすんでいるが、あまり目だない。なぜ目立たないかというと、この虫は体が節のある木の枝のような形をしていて、木の枝の色によって茶色や緑に色を変える(あるいは自分の体の色と同じ場所にいる)ので、目立たないのだ。木の枝かと思ってさわると、ぐにゃりとやわらかくてちょっと気持ち悪いが、性格はおとなしい。
へんな虫。これはリュウジ君が撮ってきた作品です。友愛園の窓にとまっていたそうです。
<がんじいのひとこと>
これは、ナナフシという虫じゃな。普段は日当たりのよい雑木林にすんでいるが、あまり目だない。なぜ目立たないかというと、この虫は体が節のある木の枝のような形をしていて、木の枝の色によって茶色や緑に色を変える(あるいは自分の体の色と同じ場所にいる)ので、目立たないのだ。木の枝かと思ってさわると、ぐにゃりとやわらかくてちょっと気持ち悪いが、性格はおとなしい。
2009年09月16日
2009年09月16日
夏の思い出1 <ひまわり>
[モーちゃんのフォト日記4]
夏休みの間、リュウジ君が来ていました。リュウジ君は小学五年生。通所者仲間の子供さんです。カメラを持って一緒に散歩しました。茶臼原小学校の入り口に大きなひまわりが咲いていました。
夏休みの間、リュウジ君が来ていました。リュウジ君は小学五年生。通所者仲間の子供さんです。カメラを持って一緒に散歩しました。茶臼原小学校の入り口に大きなひまわりが咲いていました。